泰徳寺について

泰徳寺由緒

由緒当時ハ天長二巳年弘法大師ノ開山ニシテ其後時宗宗祖一遍上人法弟覚阿了玄和尚念仏弘通ノ砌リ故有テ富士山泰徳寺ト改メ轉宗ス
維時弘安三年三月也

泰徳寺は天長4年(825年)弘法大師開山されました。弘安3年(1280年)に一遍上人法弟子である覚阿了玄が念仏弘通をされたおりに時宗に改宗したと伝わっております。

お寺の付近一帯から奈良時代の布目瓦が多数出土しています。古い時代から、泰徳寺の一帯から三日市伝法にかけてお寺が立っていたと推測されます。書院の庭に富士三石のひとつと言われている「氷石」があります。修訂駿河国新風土記には氷石の事が次のように書かれています。「氷石、或いは郡石と云う。境内にあり、富士三石の其の一つ也。此の石は氷の化したるなり。炎暑の時も、掌を以て此れを摩れば、掌中氷に触るが如し。故に氷石と云うまた、郡の形に似たるを以て郡石と云う」と。昔は、この石の下に冷たい地下水が豊富に流れていたために夏でも冷たかったのでしょう。

本堂は昭和61年に新築された木造の建物です。向拝を飾っている彫刻は、富士宮在住の坪井宗也の作品です。入口に掛けられている「富士山」の扁額は遊行六十五代他阿尊光上人の揮毫によるものです。本堂内の位牌所の天井にはお檀家様の家紋、格天井には天女や花鳥が泰徳寺32世真学の筆で軽妙に描かれ堂内に色彩を添えています。

開山: 天長2年(825年)弘法大師
転宗: 弘安3年(1280年)
真言宗より時宗に転宗
一遍上人法弟の覚阿了玄が初代住職
本堂: 昭和61年11月落慶
木造入母屋造り
唐破風千鳥破風付き銅板本葺き
本尊: 阿弥陀如来立像
宗派: 「時宗」
宗祖: 証誠大師 一遍上人
開宗: 鎌倉時代(1274年)
本山: 時宗総本山清浄光寺(遊行寺)
神奈川県藤沢市
称名: 南無阿弥陀仏
経典: 浄土三部経
「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」
六時礼讃
1月1日 修正会
2月14日 涅槃会
3月 春彼岸
4月8日 花祭り
8月 お盆
9月 秋彼岸
10月22日 開山忌

時宗について

時宗は、鎌倉時代の後半に活躍された一遍上人を、開祖とする宗派です。一遍上人は、延応元年(1239)に愛媛県で生まれ、10歳で母と死別し、父の勧めで仏門に入り、浄土宗を開かれた法然上人の弟子である証空上人(浄土宗西山派の派祖)の門下で修行されました。一遍上人は、一度は故郷に帰り半僧半俗の生活を過ごしましたが、一念発起し地位や財産などすべてを捨て去り、「遊行」の旅をはじめます。文永11年(1274)に熊野本宮証誠殿にて熊野権現より念仏信仰の神髄を授かります。「往生はただ、南無阿弥陀仏によってなされる」と悟り「信不信を問わず、浄不浄を嫌わず」を信条として念仏札を配られました。これを「賦算」といいます。この「賦算」を通じて人々に結縁を勧め、「踊り念仏」を通して人々と念仏の歓びを分かち合われました。誰もが念仏で救われる浄土の教えを全国に弘めて歩かれました。

正応2年(1839)一遍上人は、兵庫観音堂において遊行の生涯を終えました。

「一代の聖教みな尽きて南無阿弥陀仏になりはてぬ」

一遍上人は、「南無阿弥陀仏」(名号)と称える、念仏で救われるとする教えを説かれました。

その遊行の旅に従い、教えを受け継がれたのが、二祖他阿真教上人です。真教上人は、83歳で入滅されるまで門弟の時衆たちの指導に力をつくされました。一遍上人の教えを受け継ぎ、時衆教団を確立し、今日の時宗教団の基礎を作られました。真教上人は、一遍上人が九州を遊行していたとき、豊後の国で入門されました。以来一遍上人を補佐し、教団を支えました。真教上人は、一遍上人が説かれた念仏の教えを伝える時衆(僧侶)と、道場を全国に整備されました。真教上人は「他阿弥陀仏」と法名を名乗り、以後の歴代の遊行上人は「他阿弥陀仏」とよばれるようになりました。

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